銀行のノルマが厳しくなったことと、辞めたい人が増えた理由と、銀行・金融機関のお仕事変遷の歴史。

銀行にはノルマはありません、というのが就活生相手の面接時での銀行側の回答です。

でも、支店目標や自己申告書と連動した形での自主目標という意味での『ノルマ』は存在しますね。まあ、達成しなかったら命までとられる、というものではありませんが。

覚えなきゃいけないことは多いですし、それをセールスしなければならない、というのは大変です。商品の入れ替わりも頻繁に行われたりします。

今回の記事は正直『銀行・金融機関の歴史』を振り返っています。ノルマが厳しいから悩んでいる、どうしたらいいか、辞めた方がいいのか・・・などの質問に回答する記事は別に用意しました。

お悩みの方は、ぜひそちらをみてください。

⇒ 銀行員の営業のノルマがきついと感じた時はどうするか?【悩みシリーズ解決編】
 

秋田秀一イメージ画像
元銀行員の秋田です。地方銀行に31年間勤務して定年退職後にシリカ水というミネラルウォーターの通販で起業しました。最終的には個人部門推進の部門長をしました。預かり資産などを全行的に推進する立場でした。何かしらのお役に立てるかと思います。

 

今回の記事は、銀行OBとしての古い話として聞いてください。
・「ふ~ん、そんなものだったのか」という程度の内容です。
・私が個人的にそれこそ備忘録的に振り返ってみただけ、という内容です。

 
実は、昔の銀行員というのは「気楽な」とまではいいませんが、そこまで精神的にハードな仕事ではなかったと思います。

※もちろん個人差や時代時代の学校教育、戦後世代の名残・スパルタ教育といったような複雑な要因があったと思われますので、昔と今を行員の精神的負担という面だけでは一概には比較できません。それだけはご理解ください。

昔は中途で辞めるなんて人は圧倒的に少なかった職業です。(結婚などによる寿退社は別です)

今の若い銀行員・金融マンの方々は大変です。かなり離職率も上がっていると聞いたりもします。
ほんと頑張ってください、としか言えません。

あっ、頑張れ!というと・・・パワハラになったりもする時代です。こっちのガンバレにしましょう。「顔晴れ」です。どうぞニコニコしてください。
 

銀行入行から現代までのお仕事変遷の前に・・・

少しだけ時代背景的なものを振り返っておきたいと思います。

私が銀行に入行したのは1982年、昭和57年です。それから平成の時代までの推移です。

ちなみに私の誕生は昭和34年です。(1959年)
翌年に世界初のインスタント食品(ラーメン)が発売されています。

(最初の)東京オリンピックが昭和39年、1964年です。この当たりから日本の経済状況がどんどん変化していったと考えてもいいかと思います。

戦後(終戦から)、復興、高度経済成長期

昭和20年(終戦)
昭和30年代、首都高速道路の整備

昭和39年、東京オリンピック
昭和39年10月1日 新幹線開通

昭和40年(1965年)~昭和45年(1970年)いざなぎ景気
57ヶ月連続の戦後最長の好景気
 
新幹線開通

銀行入行・1982年(昭和57年)

私が銀行に就職した時代は、銀行の預金金利が年5%とか、6%といった時代でした。

税金を別にすれば・・・
1年間銀行に100万円預けておくと、利息が6万円つく、というわけです。ということは、1億円持っている人は利息だけで年間600万円。

毎月50万円に該当する利息収入です。その頃、新人の私は・・・

「1億円あったら年600万円(月50万円)。遊んで暮らせる」と思ったものでした。

今の銀行の預金金利はどのくらいの水準かご存知ですか。
わずか、たったの0.1%とか、0.01%という水準です。

1年0.01%だと、100万円を1年間預けた時の利息は100円です。

1億円預けても・・・1万円にしかなりません。(ため息ものです)

バブルの時代・1986年(昭和61年)~1991年(平成3年)

ディスコイメージ画像
 
ジュリアナ東京とかマハラジャといったキーワードが世の中に飛びかった時代です。
お立ち台、なんて言葉もありました。

たぶんに高度経済成長とバブルとでサラリーマンの賃金は毎年のように1万円くらいベースアップしていたかも知れません。

やがてバブルという泡ははじけることになります。

バブル崩壊、失われた20年

バブルが崩壊して、景気低迷の影響をモロに受けたのは、就職戦線の学生さんたちだったかと思います。
(もちろん設備投資を控えたり、コスト削減に取り組んだ企業がありますが)

いわゆる『氷河期』の時代でした。

この時代の学生さんたちはほんと大変だったと思います。

実は、日本は2005年(戦後初の減少)以降、横這いまたは人口が減り続けているのです。
そして2011年からはずっと、まさに人口減少社会となりました。しかも少子高齢化です。

2度目の東京オリンピックへ

東京オリンピックイメージ
 
今や日本は・・・人口の減少を、インバウンド≒日本への外国人旅行者(お客さま)でカバーしているような状況です。(あくまでも消費という視点からの判断)

しばらくはいい感じで進むかも知れませんが、東京オリンピック終了後は・・・不安がないわけでもないですね。

日本全体の大きな流れ、世界の動きなどに一喜一憂してはキリがないので(私見的な)予想のことはこの当たりでやめたいと思います。

そんな大きな流れがこれまでありましたよ、ということだけは頭の片隅にでも入れておいてください。

銀行の(銀行員の)お仕事変遷

日本全体の大きな流れは、前述したとおりです。

日本全体がイケイケ・ドンドン、の時。(高度経済成長でモーレツ社員が当たり前と言われた時代)
バブルで過剰に騒いだ時。

反動での冬の時代。

人口減と少子高齢化になったことで日本全体が次なる柱を模索している時。

この大きな流れの中で、銀行・金融機関をみると、銀行が収益の柱というか、儲けの視点をどこに置いているか、ということが理解しやすいと思います。

さあ、時代時代における銀行の収益についての狙いを振り返ってみたいと思います。あくまでも私個人の銀行体験からの独断と偏見です。

※繰り返しますね、前述の景気を絡めた大きな流れを頭に入れて、次の事項を読んでみてください。
時代背景は、たぶんあの時代だろうね、と推測できるかと思います。

預金だけを(特に定期預金を)集めていた時代

ちょうど私が入行した時代です。
当時、金融機関は『護送船団方式』と呼ばれる形で、どこの銀行にお金を預けてもいっしょ、また金融機関側もみんなで一致団結して同じ歩調で、というような世界でした。

せいぜい、贈答品と呼ばれる定期預金などをした時の頒布品が違うくらいの差別化しかできない時代でした。

病院で同じ処方をされて、同じ薬を出してもらったら医療費はどこの病院でもいっしょだよ、というのと同じようなものです。

どこに預けても「金利・利息」はいっしょだったのです。
あとはどこの銀行も行員それぞれの頑張りなどで、あるいは頒布品などの違いで(もちろん金融機関そのもののブランドもありますが)預金を、定期預金を集める時代だったのです。

当時、私は地方銀行の一支店にいましたが、窓口係の女性行員などが・・・夏と冬のボーナス時期にそれぞれ1ヶ月間くらいの期間で1億円くらいの定期預金を集めていたものです。

思い出してください。
イケイケ・ドンドンの時代です。(企業の設備投資などが旺盛な時代です)
みんな銀行からお金を借りて、設備投資したり、新規事業に投資したり・・・といったことで企業の発展・成長を志向していました。

当然、銀行はどこもお金という商品さえ集めれば(仕入れたら)、いくらでも借りてくださる方が(売り先)があったのです。

だから、銀行員の目標というか、ノルマというか・・・は、自動的に預金集め、ということになります。

定期預金という形で普通預金よりも利息を高くお支払いしても半年とか、1年といった期間引き出されることなく預けておいてもらえる定期預金を(特に夏・冬のボーナス時期に)集める運動が展開されたのです。

つまり、当時の銀行員の主な仕事は、まさに預金集めです。
(もちろん融資係として貸出、運用の仕事をする人間もちゃんといましたけど)

ですから、当時の銀行員のノルマというか、目標は「預金、特に定期預金」だったのです。
The預金集め、がメインの仕事です。

目標という意味での話です。
決して、デーリーワークそのものがみんな預金集めというものではありません)

カード社会の進展と同時に個人のローンカードも商品に登場・・・この頃から預金以外のノルマが増える

カード社会の到来
 
世の中が便利になってくると、カード社会が進展してきます。

銀行によっては子会社・関連会社としてカード会社を傘下に持っているところもあります。
人が現金ではなくて、普通にカードで買い物をするような時代になってくると・・・

クレジットカードのカードホルダーを獲得するために、クレジットカードをセールスするようになりました。

さらに、お客さまに売り込むためには、カードがいかに便利なものかをアピールするためにクレジットカードが使えるお店を増やすことも銀行員の仕事になったりもしました。

つまり、クレジットカード決済を導入してくれる『お店』を探す仕事です。クレジットカード会社と提携してもらうためです。

私個人的な体験ですが・・・
飲み屋さんにクレジットカードの決済システムを導入してもらうために、夜に趣味と実益を兼ねた営業活動として、飲み屋さんを開拓したものです。

好きで飲んでいたのかも知れませんが。

当然、自腹ですし、夜遅くまで勧誘活動をしても時間外手当などつきません。

やがて・・・
クレジットカードがそれなり普及してくると・・・
(もちろん今でもクレジットカードの勧誘は目標としてあると思いますが)

次は、個人向けのカードローンという商品が登場します。
一人30万円とか、50万円といった限度枠でローンカードをつくってもらうのがセールスの中で大きなウエイトを占めるようになったりもしました。

ローンカードでそれなりの枠をつくってもらえれば、たとえ、すぐすぐには使ってもらわなくても、いつの間にか利用してもらえる可能性があることからかなり力を入れて勧誘活動をしていました。

今ではカードローン、ローンカードというのは当たり前のように市民権を得ていますが・・・当時、個人向けのローンカードというのは存在していませんでした。

それが新商品の登場でどんどんセールス強化するようになったのです。

※預金、特に定期預金以外に目標が増えてきた大きなターニングポイントだったのかも知れません。

銀行強盗の話題もセールストークにした給与振込契約獲得の運動

次に銀行が取り組んだのが、給料の振込を契約してもらう、というものです。

会社が従業員の方に給料を支払うというのは、当時は現金支給が普通でした。経営者の側もいちばん大切にしている行事が給料日、ということだったのです。

給料袋というが当たり前でした。(もちろん銀行そのものは振込でしたけど)

毎月の給料は振込でもボーナス(賞与)だけは現金支給という企業もたくさんありました。

そんな中、銀行側は事務負担の軽減と預金集めの究極の手段として給与の銀行振込をお願いするようになったのです。

現金で給料をもらった人は、そのままタンス預金するかも知れません。
でも、口座振り込みで、仮に187,530円の給料が振り込まれた、とします。

すぐ給料日のその日に全額引き出されることはありません。
少しずつ減っていって翌月の給料日前まで減っていっても、普通1円以上の残高が残っているものです。

たとえ1000円、2000円でもそれが何万人、何十万人といったレベルで預金口座に残れば銀行としては例の「商品(お金)の仕入」という観点からは非常にありがたいことになります。

お金を集めることをしなくても、給与振込というだけで自動的にお金が『集まる』のです。

当時、銀行強盗なども(特に年末の頃になると)テレビのニュースをにぎわしていました。
防犯・安全、という視点からも給与振込の方が安心ですよ、といいながら勧誘していたものです。

やがては、民間企業中心のその運動が公務員にも波及することになります。

公務員の給与も銀行振込の時代に

公務員の給与も銀行振込に、という時代がきました。

当然、相手に自分の銀行口座を指名してもらわないとお金が入ってきませんので、ライバル行の口座を指名されないように、公務員の個人宅に攻勢をかけたものです。

それこそ夜の帰宅時間を狙って勧誘・訪問活動をしていました。地元のライバル行に指名競争で負けないように頑張ったものです。

やがて・・・

こういった努力・頑張りのおかげでというか、時代の流れというか・・・銀行・金融機関は大きな転換期を迎えることになります。

昔は、銀行をお金を集めてさえいれば(商品の仕入を頑張れば)、商品が売れた時代でした。
それが、民間企業・公務員、たくさんの組織が給与振込となったことで

銀行は、商品の仕入(預金集め)をしなくても、毎月毎月、自動的に
お金が入ってくるようになってしまいました。

そんな頃、バブルがはじけて・・・景気後退、企業がお金を借りなくなる・・・

バブルイメージ画像
銀行には、どんどん(勝手に)お金が集まってきます。
当然、商品の仕入ですから利息という仕入費用(コスト)が発生します。

となると・・・

集めていた預金(お金という商品・仕入)が勝手に増える(利息をつける形なのでコストが増える)

一方で、不景気になって企業がお金を借りなくなった(お金という商品が売れない、ということです)

仕入は勝手にどんどん増えていく、売上(お金を借りてもらえること)は、伸び悩み、となると・・・

当然、次はどうなるでしょう。

銀行員は、「貯金、預金してください」から「お金を借りてください」とならざるを得なくなったのでした。

そうです。
預金集めという目標から、お金を借りてもらえることが大きな目標となってしまったのです。

ビッグバン、金融の自由化で『垣根』がなくなる?

そんな頃に、国の金融行政の大きな方向転換が起こります。

ビッグバン、というヤツです。これまでの『護送船団方式』から自由競争に行政が舵をきったのです。

・銀行によって預金の金利は自由に決めていいですよ。
・その結果、競争で銀行がつぶれても国の保証は一定額までですよ。
・銀行と保険会社と証券会社の境目(垣根)を低くしますよ。
(それぞれ似たような商品を作ってもいいですし、銀行が保険を販売してもいいですよ)
・自由競争時代の到来・・・ビッグバン、ということになったのです。

預貯金が目標だった時代から、国債も販売するようになり、投資信託などの金融商品も販売するようになり、生命保険なども販売しているのが、今の銀行です。

ここまでの流れをまとめると・・・

・預金だけを集めていた時代
・クレジットカード、カードローンを売り始めた時代
・給与振込が当たり前になって、自動的に商品(お金)が集まる(仕入れる)ようになった時代
・ビッグバンで自由競争になり、預貯金以外の商品も集めるようになった時代
・・・・国債、投資信託、保険なども商品の一つとなってきた時代

となります。

(行政も絡んでの)大きな流れの変化、メインの商品の販売戦略の転換が凄いと思いませんか。そんな時代に翻弄されてきているのが銀行員なのです。

次なる収益の柱のために

最近では、成熟社会です。

よーく、考えると(振り返ると)私たちも(消費者としてみたら)、欲しいものがあまりないような時代になりました。
モノがない時代のように爆発的にみんなが「同じモノ」を欲しがるということはなくなりました。

ベストセラーも昔は300万部、500万部という感じでしたが、今では10万部も売れたらベストセラーです。

モノが売れなくなったことから当然のごとく、企業がお金を借りてくれないのです。
(設備投資などをためらうことになることから)

それでは、銀行としては収益を上げるためにどうするか、です。

・法人から ⇒ 個人へ(個人ローンなどに注力)
・金融商品の販売に注力・・・手数料収入が入る(大きい)

ということで、従来の主力商品から違うものを販売しているのが・・・今の銀行・金融機関の姿になってきているのです。

しかも、金融商品(投資信託や保険など)は、毎年毎年新しい商品が登場・誕生します。
銀行でも扱う機会が増えます。

それだけ新商品を毎年毎年、毎期毎期、覚えなければならない、ということでもあります。銀行員は大変なのですね。

たぶん、今の銀行員の人たちは、個人向けの販売しなければならない金融商品の目標(ノルマ)が大変な時代になっているのだと思います。
 
銀行員ノルマイメージ画像

銀行を辞めたいと思った時に思い出して欲しい、元銀行員の老婆心からのひとこと

収益をあげて成長・発展しなければならない宿命の銀行・金融機関としては・・・縮小、撤退はあり得ません。

となれば、お金を貸し出すことでその利息収入をどんどん増やしたいのが本音ですが、それもなかなか増えないというのが現実の姿です。

それで・・・ずっと金融商品を販売し続けないといけない、ということになってしまうわけです。

こういう時代の流れや銀行・金融機関の思惑から、個人レベルにかなりの目標が与えられているのが最近の銀行だと思います。

割り切ってやるか、やり続けるか・・・それとも違う選択肢に舵をきるのか・・・
悩んでいる人も多いのだと思います。

こんな悩みについての考察やアドバイスはまた別の機会にしたいと思っています。

※【記事加筆修正】
金融商品のノルマがきつい時の悩み相談について記事作成しました。

※また、悩みごとの相談などがありましたらどうぞ遠慮なくおっしゃってください。

私の長年の銀行経験から思うに(今の日本を考えた時に)
この金融商品偏重の方向は、しばらくは、なくなることはないと思います。

ただし、銀行・金融機関を辞める、離職する時には(それなりに)慎重に意思決定されることをお薦めします。
決して、感情的なレベルでの判断は可能な限り避けてください

上司に叱られた、イヤにことがあった、ミスした、お客さまとトラブった(怒られた)・・・感情に負けそうな時は、どうぞ遠慮なくお問い合わせください。

人生の一級応援士としてアドバイスさせていただきます。

 

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